静岡県立富士宮北高等学校

沿革

 

学校の沿革

昭和12年3月22日 本校創設者望月軍四郎氏が、財団法人大宮育英財団の設立を
計画し、富士郡大宮町2,300番地に校地116,655㎡(35,350坪)
を買収した。

昭和12年11月17日

静岡県大宮工業学校(応用化学科 定員250人)、及び静岡県
大宮商業学校(定員500人)が設立された。

昭和17年12月3日 富士郡大宮町市制施行により富士宮市となり、富士宮工業学校、
富士宮商業学校と校名変更した。
昭和19年3月7日 商業学校を廃止し、工業学校の応用化学科を工業化学科に改め、
機械科を増設した。定員500人
昭和21年4月1日 商業学校を再び設置した。
昭和23年4月1日 学制改革により新制高校となり、富士宮実業高等学校と校名
変更した。定員 工業化学科150人、機械科150人、商業科300人
昭和28年4月1日 静岡県に移管し、静岡県立富士宮北高等学校と校名変更した。
定員 全日制課程普通科300人、商業科450人
昭和36年5月26日 体育館完成
昭和38年4月1日 定員 普通科400人、商業科500人
昭和39年4月1日 定員 普通科500人、商業科550人
昭和40年4月1日 定員 普通科600人、商業科600人
昭和45年3月30日 新校舎(管理棟、普通教室棟、特別教室棟)完成
昭和48年4月1日 定員 普通科540人、商業科540人
昭和49年4月1日 定員 普通科585人、商業科540人
昭和50年4月1日 定員 普通科630人、商業科540人
昭和51年4月1日 定員 普通科675人、商業科540人
昭和53年4月1日 女子生徒が入学し、男女共学となる。
昭和55年4月1日 定員 普通科720人、商業科540人
昭和56年3月10日 特別教室棟(家庭科室)完成
昭和57年4月1日 定員 普通科675人、商業科540人
教頭2人制となる。
昭和58年4月1日 定員 普通科630人、商業科540人
昭和58年8月31日 管理棟耐震補強工事完成
昭和60年4月1日 定員 普通科675人、商業科540人
昭和62年3月20日 普通教室(美術室)完成
昭和62年4月1日 定員 普通科720人、商業科540人
昭和62年11月14日 創立50周年記念式典、記念庭園完成
昭和63年4月1日 定員 普通科765人、商業科540人
平成元年4月1日 定員 普通科810人、商業科540人
平成元年10月31日 相撲場完成
平成2年3月15日 第2体育館完成
平成3年4月1日 定員 普通科765人、商業科540人
平成3年8月2日 全国高校総体体育大会相撲競技会場(8/2~8/4)となる。
皇太子殿下行啓
平成4年4月1日 定員 普通科720人、商業科540人
平成5年4月1日 定員 普通科665人、商業科532人
新制服制定
平成6年4月1日 定員 普通科650人、商業科520人
平成7年4月1日 定員 普通科630人、商業科504人
平成8年4月1日 定員 普通科615人、商業科492人
平成9年4月1日 定員 普通科605人、商業科484人
平成9年11月19日 創立60周年記念式典
平成10年4月1日 定員 普通科600人、商業科480人
平成13年4月1日 定員 普通科600人、商業科440人
平成14年4月1日 定員 普通科600人、商業科400人
平成14年5月31日 普通教室棟応急対策補強工事完成
平成15年4月1日 定員 普通科600人、商業科360人
平成16年4月1日 定員 普通科560人、商業科360人
平成17年4月1日 定員 普通科520人、商業科360人
平成18年4月1日 定員 普通科480人、商業科360人
平成18年4月3日 生活館(北嶺館)完成
平成18年5月30日 北嶺館寄付受納
平成19年4月1日 定員 普通科480人、商業科320人
平成19年5月31日 特別教室棟、西昇降棟、東・西渡り廊下棟耐震補強工事完成
平成19年11月2日 創立70周年記念式典
平成20年4月1日 定員 普通科480人、商業科280人
平成21年4月1日 定員 普通科480人、商業科240人
平成22年4月1日 定員 普通科520人、商業科240人
平成25年4月1日 定員 普通科480人、商業科240人
平成29年11月22日 創立80周年記念式典
令和2年4月1日 定員 普通科440人、商業科240人
令和3年4月1日 定員 普通科400人、商業科240人
令和4年4月1日 定員 普通科360人、商業科240人

 

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