静岡県立浜名高等学校ホームページ




   
▷ 全日制ホーム    ▷ アクセス   
学校案内 学校行事 学校の様子 進路・学習 部活動
中学生の皆さんへ 在校生・保護者の皆様へ 卒業生の皆様へ 地域の方々と

ホーム>学校案内>校長室より

令和4年度2学期終業式に寄せて
 先日、今年の漢字が「戦」であると発表されました。選ばれた理由には、①ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の相次ぐミサイル発射②円高・物価高・電力不足・感染症など生活の中で起きている身近な戦い③サッカーW杯や北京冬季五輪の熱戦④野球界での記録への挑戦等が挙げられました。

 これまでに選ばれた漢字を見てみると、最多は4回の「金」で、いずれも五輪開催年に選ばれています。また、過去に選ばれた漢字全体を眺めてみると、「愛」「命」「絆」など人と人との深い結び付きから生まれる字もありますが、全体としては「倒」「毒」「戦」「災」「暑」など自然災害や社会不安など負のイメージを連想させる言葉が多いです。どうやら人の心には、1年を振り返った時に、マイナスイメージの方が心に残り易い傾向があるようです。

 それでは、私にとって今年の漢字は何だろうかと問うてみると、「見」という字が思い浮かびました。私は、4月に赴任して来ましたが、本校は、これまでに経験したことのない大規模校で定時制も併置されており、様々な場面で生徒の皆さんが活動しています。ですから、まずはこうした活動をできる限り見て歩こうと思いました。そして、その中から浜名高校の在り様を知ろうと考えました。また、私自身も新たな職場になったり、家族に変化があったりして、改めて自分自身を見つめ直す1年になりました。

 しかしながら、この「見る」ということはそんなに簡単なものではないようです。なぜなら、「見えているもの」が本当に「事実・真実」とは限らないからです。だからこそ、私は「見ているもの」をよく観察し、その背後にあるものを想像しつつ、物事の本質や自分の在り様をしっかり見ていかねばならないと考えています。この年末年始は、この9か月間に自分が見てきたことを一人で整理する時間に充て、来年の学校や自分に活かしていけたらと思っています。

 年末年始、生徒の皆さんの多くは少しは自分の時間ができると思います。どうか自分のこの1年を見つめ直し、来る令和5年を見据える機会をもって欲しいと願います。受験を控えた3年生の皆さんは、そんな悠長なことは言ってはいられないと思っているでしょうが、そんな切羽詰まった時こそ、一人になって今の自分をもう一度見つめてみるのもよいのではないでしょうか。

創立110周年記念式典に寄せて
 本校は、本年4月に創立110年を迎え、10月28日(金)に記念式典を挙行しました。この折の式辞の中から、浜名高校誕生までの草創期の歴史について触れた部分を抜粋して紹介します。

 雨は蕭々と降ってゐる 雨は降ってゐる 馬は艸をたべてゐる
 今も校長室に掲げられている三好達治氏が本校へ送った色紙に書かれた「大阿蘇」の一節です。我が校は、彼の詩人が作詞した校歌を糧に歴史を重ね、本年4月に創立110年を迎えました。
 明治五年(1872)、国は「邑ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期」して「学制」を公布し、近代国家の教育の在り方として小学校教育の普及とともに産業教育や女子教育の重要性を示しました。この時代、「女性に学問はいらない」といった封建的な風潮があるなか、現在の浜北区では、「学制」公布の翌年に横田保によって「女子教育趣意書」が上梓され、女学校も設立されました。当趣意書には、読み・書き・算盤の定着に止まらず、実学や読書の奨励、家政学の必要性を説き、その影響によるものなのか、当地方の女子の就学率は国内でも高い水準にありました。
 このような地域の特色を背景に、当地方における女子の高等教育機関設立の機運が高まり、大正2年(1913)、平野千代平ほか三氏が発起人となって、本校の前身である「北浜裁縫女塾」が浜北区貴布祢の地(現在の浜北文化センター)に開校しました。そして、「高等女学校令」の改正を受けて、翌年には「北浜実科女学校」、大正8年(1919)には「北浜実科高等女学校」として学校の充実が図られました。
 地元有志の手による私立学校としてスタートした本校は、昭和初年になると地域から県立学校へ移管する動きが活発になりました。地域住民によるこうした運動は、アジア・太平洋戦争を挟んで10有余年に及び、「北浜高等女学校」への改称を経て、昭和22年(1947)「笠井高等女学校」と合併する形で悲願の県立移管を果たしました。学校名には、当時の浜名郡下で初めての県立学校が設置された郡内の人々の喜びと、当地域における教育発展の期待感から、郡名を冠する「県立浜名高等女学校」が選ばれたと愚考しています。そして、翌23年(1948)には、学制改革によって男女共学となり、「県立浜名高等学校」が誕生したのです。


北浜裁縫女塾(左)と浜名高校貴布祢校舎(右)

2学期の始業式に寄せて
 令和5年度のNHK大河ドラマは徳川家康が主人公で、主演が嵐の松本潤さんだということで、家康ゆかりの地「浜松」も観光需要の拡大など経済効果を期待する声が聞こえてきます。
 家康は、生涯のうち青年時代の17年間、浜松を拠点に活動しました。しかしながら、この間は苦難の連続でありました。例えば、三方原の戦いで武田信玄に大敗して命からがら逃げ出したり、同盟相手である織田信長の圧力に屈して妻を殺害し長男を自殺に追い込んだりしました。ちなみに443年前の今日(8月29日)は、妻である築山殿が佐鳴湖畔で惨殺された日でもあります。
 このような難局を前に、家康はとにかく懸命にもがいていました。信玄・信長という高い壁を前にして、その場から逃げ出さずとりあえず向き合っていました。すると、信玄は間もなく病死、信長も3年後に本能寺の変であえなく命を落としました。つまり、壁の方が自ら崩れ、壁の前にいた家康はこれを乗り越えてさらなるスケールアップを果たし、その後の天下人への土台を築くことになったのです。

 話は変わりますが、フジテレビのプロデューサーや吉本興業の重役を歴任された横澤彪さん(故人)は、新人研修の場で、”君たちの前に立ちはだかる壁を自分一人で乗り越えることなんてできない。君達にできることは、その壁の前をとにかくウロウロすることである”と訓示したと聞いています。

 この訓示は、先ほどの家康の行動と通ずるものがあると思います。皆さんも、自分の前に立ちはだかる高い壁を前にしたら、諦めて立ち去るのではなく、まずは壁の前をウロウロするところから始めてみたらいかがでしょう。そのうち、壁のほころびが見えたり、壁を崩す大きな力が掛かったりして、光明が見えて来るかも知れません。

令和4年度1学期終業式に寄せて
 今回は、浜北市根堅にある「安産祈願」で有名な岩水寺について紹介します。

 岩水寺は、奈良時代に行基(ぎょうき)という僧によって創建されたと伝えられていますが、戦国時代に武田信玄軍に攻められて全山が焼失しました。そのため、古い時代の記録は残っておらず、その歴史も伝承のレベルに止まっています。

 このような中、平成22年に当寺の本尊である「地蔵菩薩立像」に初めて学問的な研究が行われました。この像は、秘仏で信仰の対象であるためこれまで一度も調査されてきませんでしたが、像の傷みが激しくなったため、修復を兼ねて調査が行われたのです。その結果、この像が健保5年(1217)に京都の六波羅蜜寺の仏師である運覚が造ったこと、像内に34点の納入品があったこと等、多くの発見がありました。

 このたった一体の仏像を様々な角度から丁寧に分析することによって、岩水寺の分からなかった歴史の一部や政治的・文化的な位置付けが確認できたわけです。

 このことは、生徒の皆さんの在るべき姿に大きな教訓を与えていると思います。つまり、学習で考えれば演習問題の1題、部活動であれば練習試合の1試合を通じて、皆さんはどれだけの情報を得られているかということです。ただ漠然と問題や試合をこなすことで、本来得られる情報の一部しか手にすることができていないことはよくあることです。皆さんには、情報を得る機会は平等に与えられていますが、それをどれだけ丁寧に研究しているかで成長の度合いに差が付いていきます。

 夏休みは、授業がある時と比較して、1つの課題に時間をかけて取り組むことができます。ぜひとも貪欲に情報を得て、実り多き秋となるよう過ごして欲しいと思います。


令和4年度入学式に寄せて
 大正2年(1913)4月に開学した「北浜裁縫女塾」を起源とする本校は、昭和23年(1948)の学制改革により「静岡県立浜名高等学校」と改称され、当初は、貴布祢の地、現在の浜北文化センターのある場所に所在しました。
 当地に今も残る「貴布祢の森」は、遠江を代表する国学者の内山真龍が編纂した『遠江国風土記伝』によれば、『万葉集』にある「伎倍乃波也之(きべのはやし)」に比定され、古くから貴布祢神社が祀られてきました。当地は、聖地としての信仰の場であるとともに、文化や情報の集約する場、村の会合の会場としての政治の場、祭礼等を通じた娯楽の場となり、地域コミュニティを構築するうえで重要な役割を果たしてきました。つまり、こうした地域における「活力」と「進取」の気概を期待される場所にいざなわれて行くように、本校の最初の学び舎は当地に必然的に建てられたものと感じています。
 こうした因縁を背景に貴布祢の地で展開された「躍進浜名」の営みは、約60年前の昭和37(1962)年9月に現在の西美薗の地に移転しても脈々と受け継がれ、北遠を代表する伝統校として、中央、地方を問わず各界で活躍する28,300人を超える優秀な人材を輩出して参りました。

 本校が、教育目標として掲げている「高きを求めて文武両道に励み、『かがやく知性・細やかな感性・強い意思・たくましい体』を有する『志を持った心豊かな人間』」となることは、平坦な道ではありません。その多面性は、まさに本校のルーツである「貴布祢の森」と相通ずるものがあると感じています。新入生の皆さんには、本校の3年間を通じて、「知・徳・体を兼ね備えた志ある人」となることを切に願っているところです。
 そのための道しるべとして、本校には校歌の歌詞から採られた「志はるかなれこそ 若き日を かくこそ惜しめ」の校訓があります。生徒の皆さんは、各々が「志」という「なりたい自分」の姿を持っていると思います。限りある若き日、どうか皆さんには、この多感な時期に、寸暇を惜しんで貪欲に知識を吸収するとともに、高校時代にしか体験できない諸活動に積極的に取り組むことを期待しています。



貴布祢の森と「伎倍の林」を詠った万葉歌碑





静岡県立浜名高等学校
〒434-0033 静岡県浜松市浜北区西美薗2939-1 電話:053-586-3155 FAX:053-586-0740 E-mail:hamana-h@edu.pref.shizuoka.jp