沿革
昭和13年 4月 9日
東京人絹株式会社が東海工業学舎として設立
昭和14年 3月 3日
乙種工業学校として認可され、田子浦工業学校と改称
昭和31年 1月21日
静岡県産業教育審議会の建議に基づき、本県東部西部に工業高校各1校の増設認可
昭和32年 1月 1日
静岡県立吉原工業高等学校として開校、旧私立田子浦高等学校を仮校舎として開校
設置学科及び生徒定員
機械科 80人(2学級)×3学年=240人
工業化学科 80人(2学級)×3学年=240人
合計 480人(12学級)
昭和32年11月 6日
新校舎建設地(旧吉原市比奈2300番地)に整地作業完了
昭和33年 9月 2日
本館の一部と機械科実習棟の竣工
新旧両校舎で授業実施
昭和34年 2月19日
本館残部の竣工により、1・2年生も新校舎に移転
昭和35年 4月 1日
電気科設置、定員240人(6学級)、全校定員720人(18学級)
昭和38年 4月 1日
機械科・電気科各1学級増、定員320人(8学級)
全校定員960人(24学級)
昭和38年 7月15日
体育館兼講堂「齊藤記念館(現第2体育館)」竣工
昭和40年12月11日
齊藤記念図書館竣工
昭和41年 2月28日
工業化学科実習室竣工
昭和45年 2月12日
格技場竣工
昭和46年 3月 9日
鋳造実習工場竣工
昭和46年 4月 1日
電子科設置(電気科の1学級を電子科へ変更)
昭和55年 1月 8日
大昭和製紙より土地9,372.0㎡買収
昭和55年 3月29日
国有地5,943.47㎡買収
昭和55年 9月10日
プール竣工
昭和55年10月20日
国有地138.35㎡買収
昭和56年 3月25日
工業化学科棟竣工
昭和57年 4月 1日
本年度入学者のみ工業化学科1学級減、定員280人(7学級)
全校定員920人(23学級)
昭和60年 2月20日
第1体育館竣工
昭和60年 4月 1日
全学年 定員320人(8学級)、全校定員960人(24学級)
昭和62年 4月 1日
電子機械科設置(機械科の1学級を電子機械科に変更)
昭和63年 2月29日
新技術実習棟竣工
平成 元年 3月20日
図書館改修工事
平成 2年 3月31日
第2体育館改修工事
平成 3年 8月1~6日
平成3年度全国総合体育大会バトミントン会場
平成 4年 4月 4日
工業化学科1学級減、定員280人(7学級)
全校定員920人(23学級)
平成 5年 4月 4日
工業化学科をシステム化学科に改編
平成 6年 4月 1日
グランドの仮校舎で授業
平成 6年 6月~8月
旧校舎解体
平成 7年 4月 1日
数理工学科設置、電気科1学級減、定員280人(7学級)
全校定員840人(21学級)
平成 8年 3月21日
新校舎竣工
平成 8年 3月31日
第39回卒業生までの卒業生総数10,881人となる。
平成 8年 4月 1日
機械科1学級減、定員240人(6学級)
全校定員800人(20学級)
平成10年 4月 1日
全学年 定員240人(6学級)、全校定員720人(18学級)
平成14年 9月20日
格技場改修
平成15年 9月19日
図書館及び機械科実習棟耐震補強
平成17年 3月15日
第2体育館耐震補強
平成17年 3月24日
上水道切替工事
平成24年 1月31日
工業化学科実習棟・機械科鋳造実習棟・
プール付属棟の耐震補強工事完了
平成25年 12月3日
自転車置場竣工
平成28年 4月 1日
電気電子科設置、電気科及び電子科募集停止
定員200人(5学級)、全校定員680人(17学級)
平成30年 4月 1日
全学年 定員200人(5学級)、全校定員600人(15学級)
令和5年 4月 1日
システム化学科、数理工学科の募集を停止し、理数化学科を設置(1学級減)
各学科名称を変更、定員160人(4学級)、全校定員560人