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校長あいさつ
「御挨拶」

 本校は明治36年に佐野農業補習学校として産声をあげました。地域の農業振興の担い手を養成する教育機関として戦後に至ります。時代の要請に合わせて農業科、家庭科、普通科、定時制の4学科体制を経て、高度経済成長期には普通科、商業科の2学科体制となりました。実学を重視した教育機関として発展を遂げてきました。そして、平成17年から「総合学科」として新たな道を歩み始めました。生徒の興味や適性等により、主体的かつ意欲的に学習ができるよう系列を設け幅広い進路希望に対応し、生徒の多様な進路を実現することができる学校として生まれ変わったのです。現在、本校では1年次には共通のカリキュラムで学び、2年次から人文国際、自然科学、ビジネス、福祉介護、保育の5つの系列にそれぞれ分かれて進路実現を目指すシステムとなっています。また、各系列には課題研究など探究型のカリキュラムを設定し、これからの時代の変化に対応できる力を身につけていきます。 
本校の校訓は「自覚」であり、生徒は3つの行動規範「挑戦・変化・地域貢献」を意識して学校生活を送っています。在校生には常に挑戦する気持ち=チャレンジ精神を持ち、自分のあるべき姿を見つけるために変化を恐れず、折に触れて地域の方々に協力し、先輩たちが営々と築いてきた地域貢献の成果を受け継いでいく、そんな裾野高生になってもらいたいと思います。
本校は、裾野市との「連携協力に関する協定」を平成29年に締結し、出前授業等の協力をいただいておりましたが、今年改めて協定を締結しなおしました。「総合的な探究の時間」などの生徒の活動に深く関わっていただき、地域を知り、学び、発信していきたいと考えています。
裾野高校は昨年、創立120周年を迎え、本年度10月に記念式典を行います。新しい時代に向けて変化を続ける裾野市をはじめとする静岡県東部地区を支える人材を育成するべく生徒、教職員ともに向上心を持って進んでいきます。

令和6年4月1日
                       静岡県立裾野高等学校長 田代直彦

校長あいさつ
「御挨拶」


 令和5年4月に、裾野高等学校に校長として着任いたしました田代です。3月までは静岡市にある駿河総合高等学校に勤務していました。同じ総合学科の高校に勤務できることを楽しみにしています。

 本校は明治36年に佐野農業補習学校として産声をあげました。地域の農業振興の担い手を養成する教育機関として戦後に至ります。時代の要請に合わせて農業科、家庭科、普通科、定時制の4学科体制を経て、高度経済成長期には普通科、商業科の2学科体制となりました。実学を重視した教育機関として発展を遂げてきました。そして、平成17年から「総合学科」として新たな道を歩み始めました。生徒の興味や適性等により、主体的かつ意欲的に学習ができるよう系列を設け幅広い進路希望に対応し、生徒の多様な進路を実現することができる学校として生まれ変わったのです。現在、本校では1年次には共通のカリキュラムで学び、2年次から人文国際、自然科学、ビジネス、福祉介護、保育健康の5つの系列にそれぞれ分かれて進路実現を目指すシステムとなっています。また、各系列には課題研究など探究型のカリキュラムを設定し、これからの時代の変化に対応できる力を身につけていきます。 

本校の校訓は「自覚」であり、生徒は3つの行動規範「挑戦・変化・地域貢献」を意識して学校生活を送っています。在校生には常に挑戦する気持ち=チャレンジ精神を持ち、自分のあるべき姿を見つけるために変化を恐れず、折に触れて地域の方々に協力し、先輩たちが営々と築いてきた地域貢献の成果を受け継いでいく、そんな裾野高生になってもらいたいと思います。

裾野高校は本年度、創立120周年を迎えます。新しい時代に向けて変化を続ける裾野市をはじめとする静岡県東部地区を支える人材を育成するべく生徒、教職員ともに向上心を持って進んでいきます。

令和5年4月1日
                             静岡県立裾野高等学校長 田代直彦

「この困難な時に裾野高生に頑張って欲しいこと」

 校長の多嶋です。2年目となります。宜しくお願い申し上げます。年度当初にあたり御挨拶申し上げます。

 本校は明治三十六年に佐野農業補習学校として産声をあげました。本年度、百二十周年目を迎える伝統校です。約五十年前の高度経済成長期に普通科、商業科の二学科体制となり、裾野市唯一の公立高等学校として役割を果たしつつ発展を遂げてまいりました。そして、平成十七年、今から十七年前には「総合学科」として生まれ変わり、新たな道を歩み始めました。総合学科は生徒の興味関心や適性等により、主体的かつ意欲的な学習ができるように、二年生から系列に分かれ、幅広い進路希望に対応するなど、将来にわたっての生き方を学ぶキャリア教育を重視する学科です。現在、本校では一年次には普通科目を中心とする共通のカリキュラムで学び、二年次から人文国際、自然科学、コミュニティビジネス、キャリアビジネス、福祉介護、保育健康の六系列にそれぞれ分かれて進路実現を目指すシステムとなっております。

 生徒の皆さんには本校の校訓「自覚」と、行動規範である「挑戦・変化・地域貢献」という三つの言葉を胸に刻み学校生活を送って欲しいと思っています。自らの現状を自覚し、今何をなすべきかを考え、目標を定め挑戦する気持ちを持ち、自らを良い方向に変化させ、折に触れて地域の方々と協力し、先輩たちが営々と築いてきた地域貢献の成果を受け継いでいく、そんな裾野高生になってもらいたいと思います。

 本校は戦後間もないころ昭和二十三年に沼津農学校、現在の沼津城北高校の分校となり独立した学校の地位を失ってしまいました。学校行事や教育内容も縮小され、学校の歴史の中で最も苦しい時代となります。しかし、教職員、生徒自身が再建独立の気概を失わず、五年後の昭和二十八年に静岡県立裾野高等学校として独立を獲得したのでした。当時の生徒は独立の気風が強く、体育祭などは一切先生たちが関わらないですべての運営を行っていたと記録には残っています。このことが示す通り本校は校訓「自覚」のもと「挑戦・変化・地域貢献」の精神に溢れた学校です。

 新型コロナウイルス感染症のみならず、今、世界に目を向けるとウクライナ情勢など、世界平和に関して緊迫した状態が続いています。生徒には学校で友人と共に学ぶことができる幸せに感謝し、この後の高校生活を充実したものに作り上げて欲しいと思います。

 本年度は百二十周年目の記念すべき年。本来は来年度、令和五年度に記念式典を実施する予定でしたが、見通し不透明なコロナ感染症の今後の状況も踏まえ、できる限り感染拡大が収まった後の方が良いのではないか、という判断で一年遅らせ、令和六年度に創立記念行事を開催する予定です。在校生が、この伝統ある裾野高校を良い方向に導き、二年半後の記念式典が盛大かつ厳かに行われることを強く願います。

 結びになりますが、世界初の未来都市ウーブンシティ誘致をはじめ変化を続ける裾野市、また広く静岡県東部地区を支える人材を育成するべく生徒、教職員ともに向上心を持って進んでいくことを誓います。

                                 令和4年4月1日

                                  静岡県立裾野高等学校長 多嶋洋一


「御挨拶」

                   
 暖かな春の日差しのもと桜の花が咲き誇りましたが今年は春の訪れが早く桜吹雪が舞っています。門出にふさわしいよい季節となりました。伝統ある静岡県立裾野高等学校に校長として着任いたしました多嶋です。
 本校は明治36年に佐野農業補習学校として産声をあげました。約50年前の高度経済成長期に普通科、商業科の2学科体制となり、実学を重視した教育機関として発展を遂げてまいりました。そして、平成17年、今から16年前には「総合学科」として新たな道を歩み始め、生徒の興味や適性等により、主体的かつ意欲的に学習ができるよう系列を設け幅広い進路希望に対応し、生徒の多様な進路を実現することができる学校として生まれ変わりました。現在、本校では1年次には共通のカリキュラムで学び、2年次から人文国際、自然科学、コミュニティビジネス、キャリアビジネス、福祉介護、保育健康の六系列にそれぞれ分かれて進路実現を目指すシステムとなっております。
 本校の校訓は「自覚」であり、生徒は行動規範「挑戦・変化・地域貢献」という三つのことを意識し学校生活を送っています。在校生には常に挑戦する気持ち=チャレンジ精神を持ち、自分のあるべき姿を見つけるために変化を恐れず、折に触れて地域の方々に協力し、先輩たちが営々と築いてきた地域貢献の成果を受け継いでいく、そんな裾野高生になってもらいたいと思います。
 今の高校生が社会人として活躍するこれからの時代はすべてのことにおいて劇的に変革する時代です。世界的な自動車メーカー、TOYOTAが裾野市とも連携して「ウーブンシティ構想」を進めています。これから確実にインターネット、AI技術等の飛躍的な発展を基盤にして、生活や働き方スタイルなどが大きく変化していきます。今までの常識が非常識となることもあるかもしれません。そのような不確実な時代を生きる生徒の皆さんには、周りの人と協力して判断が難しい場面に遭遇しても自主的に問題を解決する力を付けて欲しいと思います。
 本校は令和5年度に記念すべき創立120周年を迎えます。変化を続ける裾野市をはじめとする静岡県東部地区を支える人材を育成するべく生徒、教職員ともに向上心を持って進んでいきます。
                              令和3年4月1日
                             静岡県立裾野高等学校長 多嶋洋一

令和3年3月30日(火) 退任の御挨拶

 この度の人事異動により、裾野高校から沼津工業高校に異動することとなりました。2年間という短い間で、しかもこの令和2年度はコロナ禍で学校行事等も思うようにできなかったため、後ろ髪を引かれる思いで裾野高校を去ることになります。以下、昨日(3月29日)に行われた離任式での私からの話の概要(一部略)を掲載し、退任の御挨拶に代えさせていただきます。
 誠に残念ながら、2年間で裾野高校を去ることになってしまいました。
せめてもう1年、皆さんの勉強や部活動などでの色々な活躍を見守らせていただきたかったのですが、非常に残念でなりません。
 裾野高校の2年間、皆さんにいろんなところで元気をもらいました。本当にありがとうございました。ちょうど1年前、新型コロナウイルスの感染の影響で臨時休校になっていた時、皆さんの声が学校から消えて寂しかったです。やはり学校は、生徒あっての学校だと思います。この1年間、皆さんも大変な思い、悔しい思いをしたと思いますが、終業式でお話ししたように、この痛みはいつか皆さん一人ひとりのかけがえのない財産になると思います。コロナ禍はまだ続きますが、是非前を向いて日々を大切に過ごしていってください。
 ここで、今から100年近く前に詩人として活躍した、金子みすゞさんという人の詩を紹介したいと思います。金子さんは様々な逆境にもめげず、昭和5(1930)年に26歳の若さでこの世を去るまで512編の詩を残しました。今から10年前の東日本大震災の後、普通のCMがテレビから一時消えた時、日本広告協会が作ったテレビ広告の中で「こだまでしょうか」という詩が流れたことがありましたが、あの詩は金子みすゞさんの作品です。今日は、次の詩を紹介します。
   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面を速くは走れない。
   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに
   たくさんな唄は知らないよ。
   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。
これは、「私と小鳥と鈴と」という詩ですが、聞いたことのある人も多いと思います。この詩の最後のフレーズ「みんなちがって、みんないい。」、この気持ちを皆さんそれぞれが持って、人の短所を批判するのではなく、長所を見つけて褒めてあげられるような人間になってください。是非お互いを高め合い、助け合って、裾野高校を今以上に素敵な学校にしていってください。卒業生の皆さんも、人のいいところを見つけて、素敵な社会人として活躍していってください。
 私は4月から沼津の方に行ってしまいますが、南から皆さんの活躍を見守り、応援しています。是非、「裾野高校、ここに在り」という心意気を日本中、いや世界中に見せてください!皆さんの益々の活躍と裾野高校の益々の発展を祈っています。
 以上で私からの最後のお話とします。2年間ありがとうございました。
                                         校長 望 月 保 宏