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令和5年度3学期終業式に寄せて
 かくて新しい季節ははじまった かくて新しい出発の帆布は高くかかげられた
 人はいふ日の下に新しきなし わらはこたふ日の下に古きこそなし

 先日の卒業式で披露した本校校歌を作詞した三好達治氏の「春の日の感想」の一節です。三好氏は、終戦後の焼け野原の中で新しい時代への希望を込めて、この詩を詠ったと考えています。

 さて、赴任して2年間、私は皆さんの様々な学校生活を見て来ました。特に、皆さんが自ら求めて取り組んでいる場面に出会うと、目の前の皆さんの思慮深さ、ひた向きさ、潜在能力の高さにしばしば驚かされました。また、昨日の9人の卒業生が後輩に送った熱いメッセージにも心が動かされました。

 こうした場面を見ていると、皆さんが担う「令和」という新しい時代に、厳しい社会情勢とは裏腹ではありますが、私は希望を抱いています。併せて、「令和の浜名高校」は、主体的に行動する生徒と教職員が手を携えて構築していくことが最も望ましい姿だと考えています。先日の「校則見直し」の生徒総会はその第一歩であると捉え、その歩みが止まらず続いていくことを願っています。

 令和5年度は本日をもって幕を閉じます。そして、あと2週間もすれば皆さんは学年を1つ上げて令和6年度がスタートします。三好達治氏が校歌の作詞を通して、浜名高生に伝えたかった思いを改めて掲げます。

 志はるかなれこそ 若き日を かくこそ惜しめ

令和5年度卒業式に寄せて
 3月1日(金)に令和5年度卒業式を挙行しました。式辞の一部を抜粋して紹介します。

 ああ春はわれらの呼吸をふかくし 春はわれらの心をふかくする
 ながいながい冬の日の不如意の後で 堅い氷をおし破つて帰ってくる春の日は
 われらの心をのびのびと 今日の烟つた野山の間へ 天の一方へ解き放つ
 令和6歳は、能登半島で起きた大きな災害で幕を開け、季節外れの暖かさと厳しい寒さの落差で、心穏やかならぬ冬となりましたが、菜種梅雨を思わせる長雨を経て春の兆しを感じ、冒頭の本校校歌作詞者の三好達治が詠う「春の日の感想」の一節のように、新たな旅立ちを連想させる日和となりました。卒業生357名の皆さん、御卒業おめでとうございます。3年間の皆さんの努力と研鑽を心から讃えます。

 さて、本校が所在する浜北の地は、かつて遠州織物の一大生産地であったことに異論を差し挟む余地はありません。その起源は、戦国期に三河から伝来し、江戸時代を通して当地の特産品となりました。特に、貴布祢の和泉屋は、浜北全域の織物製品を取り扱い、笠井の商人と共同して「笠井縞」後に「遠州縞」と称するブランドの基礎を築きました。明治以降、「遠州縞」はその品質に加えて当地の人々の営業努力によって全国区となり、昭和の高度成長期を支える産業の中核となるまでに成長しました。こうした発展の要因として、当地の人々の品質向上に向けた弛まぬ努力、丁寧で確かな技術の継承、マーケティングの充実等が挙げられます。また、これを支えたのが、学制発布後まもなく男女を問わない初等教育の充実を図った当地の教育力の高さでありました。この延長線上には、本校のルーツである「北浜裁縫女塾」の開校も位置付けることができます。この様な中で当地の人々が大切にしてきた理念や資質は、本校の教育にも脈々と受け継がれ、勤勉・誠実で社会に有用な浜名高生を世に送り出すことにつながっていると考えています。

 思えば、皆さんは、新型コロナウィルス感染症拡大の只中で本校に入学し、2年間は、様々な制約の中で学校生活を送ることを余儀なくされました。そして、3年生となった今年度は、コロナ禍であることを意識しながらも、新たな高等学校の在り様を模索する、大きな転換点となる1年を送りました。
 そのような中で、私が実際に目にしたのは、2,200人余りの観覧者を集めた学校祭で様々な催しを送り届ける姿、体育祭で選り抜かれた生徒による競技と生徒提案で始められた応援パフォーマンスで見せた躍動感と創造性溢れる姿、集会や授業等で自らの考えや体験を熱く語る姿、部活動において高い水準を意識して学問・芸術・スポーツに打ち込む姿、個人端末を活用して学びを深めたり、黙々と机に向かい自らの進路を切り開こうとしたりする姿など、一人ひとりが「二つなき日を」を大切に送ろうとしている毎日でした。そして、その背中は、在校生の心を突き動かすエネルギーとなり、先の「校則」を議題とした生徒総会に象徴されるように、本校が「令和の日本型学校教育」の具現化に向けて新たなステージの第一歩を踏み出したことを校内外に印象付けることとなりました。

 ところで、本年1月23日、アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、世界がどれほど破滅の危機に近づいているかを真夜中までの残り時間で表す「終末時計」において、過去最短の「残り90秒」と発表しました。東西の冷戦が終結した平成3年が「残り17分」であったことを思えば、昨今の国際関係や核問題に加えて気候変動など人類の存在を脅かす脅威は看過できないほどに高まっています。また、国内に目を向ければ、昨年の日本の名目GDP(国内総生産)がドイツに抜かれて世界4位に転落したことが2月に発表されるなど、今後の日本の行く末を不安視させる報道が相次いでいます。 一方で、令和3年後半以降、サービスを中心とした個人消費や、好調な企業収益を背景として設備投資が持ち直すなど、内需を中心に緩やかな景気回復を続け、先月末には東京株式市場で日経平均株価が史上最高値(さいたかね)を更新したと報じられました。また、大谷翔平選手の二刀流やワンピース・鬼滅の刃に代表されるアニメなど類を見ない日本人や日本文化にも世界の注目が集まっています。加えて、皆さんと同世代を対象に調査したOECDによるPISA(生徒の学習到達度調査)2022の結果によれば、日本の若者は数学リテラシーで一位、読解力で二位、科学的リテラシーで一位となって、その水準の高さを世界に示すなど、未来に明るい兆しをみせる側面もあることを忘れてはなりません。

 このように社会は限られた側面だけでは判断できず複雑化の様相を呈していますが、遠州織物を日本の基幹産業に育て上げた先達のDNAを受け継ぎ、転換点にある本校での三年間の学びを経た皆さんなら、柔らかな発想と変革する勇気を持ってより良い未来を拓き、社会に貢献できる人材となることを確信しています。感染症、自然災害、国際紛争など困難が相次ぐ21世紀の社会で、皆さんのような活力ある若者が多方面で活躍し、先ほどの「終末時計」の針を戻す原動力となることを、世の中は大いに期待しています。
 結びに、本校創立111年で初めて卒業証書に名前を刻んだ先輩として、皆さんの人生に幸多からんことを強く願い、式辞といたします。

令和5年度3学期始業式に寄せて
 元旦の夕方に発生した「能登半島地震」につきましては、大きな被害が出ており、心を痛めるばかりであります。改めて、今あるこの生活が当たり前ではないことを認識するとともに、皆さんの前でこうして話ができることに感謝しつつ3学期に望みたいと思います。

 さて、今日は、私が発掘調査をする機関に出向していた30年前の苦い体験談を披露したいと思います。

 浜松市の西南部にイオン志都呂店という大規模ショッピングモールがありますが、このもう少し東側に新川という二級河川が流れています。この辺りには「角江遺跡」という弥生時代の大集落がありました。私は、短期間ではありますが、この遺跡の発掘調査に携わりました。

 私が調査に当たった頃は、ちょうど当時の川の跡を調査しているところでした。河川の跡なので、川底には流木、廃棄された土器や木器など様々なものが沈んでいました。その中に、たっぷり水分と泥を含んだひときわ大きな木の幹と思しき遺物がありました。動かすのも一苦労で、私は心のどこかで、この木の幹もどきを取り上げて整理する意味を疑問視して、粗略に扱ってしまったように記憶しています。

 間もなく、私は他の遺跡の調査に転属となって角江遺跡を離れたのですが、しばらくして一緒に調査に当たっていた職員から、例の遺物を丁寧に整理してみたらただの木の幹ではなく透かしの入った立派な木の臼であることを聞かされました。やがて、この臼は貴重な文化財であることが判明し、新聞の一面に掲載されたり、東京の国立博物館で展示されたりしました。そのうえ、今年度から本校で使用している「日本史探究」の教科書にも掲載されています。

 あの頃のことを振り返ると冷や汗が出ます。当時の「知ろうとしない」「観察しようとしない」私の姿勢は、危うく貴重な文化財を闇に葬ってしまうところでした。この事実から、偏見や固定観念による判断が、いかに真実を捻じ曲げてしまうものかを思い知りました。ですから、私は本校の「日本史探究」の教科書を見るたびに「自戒の念」が込み上げてくるのです。

 このことは、人間にも当てはまることだと思います。皆さんは自分自身をしっかり観察しているでしょうか。また、他者を偏見なく見ているでしょうか。ましてや風評で判断していることはないでしょうか。そして、「どうせ自分はこんなもの」とか「あの人はこういう奴に決まっている」とか思っていないでしょうか。皆さんは、一人ひとりが個性豊かで貴重な存在であり、様々な可能性を秘めています。自分の偏見や固定観念で勝手にその可能性を葬り去ることなく、しっかり自他のありのままの姿を直視して、自己を磨いて欲しいと思います。


角江遺跡出土の木臼(静岡県埋蔵文化財調査センターHPより転載)

令和5年度2学期終業式に寄せて
 先日、放映中の映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観に行きました。この場でネタばらしをすることは避けますが、若い人達が戦争に関心をもってもらえることはありがたいことだと思いますし、劇中で今の高校生が特攻隊のことを率直にどう思っているのかも垣間見えてよかったです。そこで、今日は「浜松と太平洋戦争」について紹介してみたいと思います。

 浜松は、明治の末年から昭和の初年にかけて積極的に軍隊を誘致していました。その結果、現在の静岡大学浜松キャンパスや和地山公園の辺りには「陸軍歩兵67連隊」、現在の本田技研浜松工場及び航空自衛隊浜松基地付近には「陸軍飛行34連隊」並びに「陸軍飛行学校」が置かれ、軍都となっていました。この場では、太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった昭和19年(1944)以降、この浜松で何が起きていたのかを中心に皆さんにお伝えしたいと考えています。

 まずは特攻隊です。この人命を無視した作戦の、陸軍におけるほぼ最初の部隊は、この浜松で編成されました。すなわち陸軍飛行学校の教官を隊長に「富嶽隊」という部隊が結成され、フィリピンへ出撃していきました。以降、多くの部隊が当地で編成されたり、戦地に出撃したりしました。また、舘山寺温泉街では、舘山寺山下にある旅館を軍が接収して研究施設としました。ここで研究開発を進められていたのは、現在のトマホークミサイルのような兵器で、通称「丸ケ」と呼ばれていました。さらに、台地上には「三方原教導飛行団」と呼称する部隊が置かれました。ここでは毒ガスの研究を行っていました。こうした兵器は、来るべき「本土決戦」に向けた準備として行われていましたが、いずれも人としての倫理観を疑う所業だったと個人的には考えています。

 戦争は誰も幸せにしません。今の皆さんの生活も平和でなければ成立しないのです。この世界を見渡せば、いまもあちこちで戦争や紛争が起き、皆さんと同じ世代の人たちの学ぶ権利や一度しかない青春時代が侵害されています。ですから、来年こそ1日でも早く誰もが平和に暮らせる日が来ることを祈ります。


左:飛行学校旧本部庁舎(空自浜松基地内)中:34連隊旧将校集会所(本田技研内)右:トーチカ跡(半田山)

令和5年度2学期始業式に寄せて
 歴史を学んできた私にとって8月6日・9日・15日は特別な日です。すなわち6日と9日は日本に原子爆弾が投下された日、15日は日本がポツダム宣言を受託して降伏したことを国民に伝えた日であります。現在、8月15日は終戦記念日とされ、太平洋戦争で亡くなった方を慰霊する行事が各地で行われています。こうした催しと併せて、東京の靖国神社に参拝した政治家の名前も報じられています。靖国神社は、戦死した将兵をお祀りしている神社ですが、実は遠州の人々と深い関りのある社です。今日は、このことについて紹介したいと思います。

 話は幕末に遡ります。慶応3年(1867)、15代将軍徳川慶喜が大政を奉還すると、薩長を中心とする討幕派は12月に王政復古の大号令を発して新政府を組織し、慶喜に辞官・納地を迫りました。これを不服とした幕臣たちは挙兵し、戊辰戦争が始まりました。そして、初戦の鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府軍は、有栖川宮熾仁親王を奉じて江戸城総攻撃のため下向しました。

 この情勢に敏感に反応したのが遠州の神官を中心とする知識層でした。遠州は、賀茂真淵に代表されるように国学が盛んで、皇室を敬う気持ちの強い人が多かったので、有栖川宮を総司令官とする新政府軍に尽力しようと考えたようです。彼らは「遠州報国隊」という義勇軍を300人余で組織し、その内の80人余が、実際に新政府軍に随行しました。ちなみに現在の浜北区からは、高園・高畑・貴布祢・横須賀・中瀬の村々から8人の神職者が参加したようです。

 江戸まで従軍した隊員たちは、約9か月間の間、新政府軍と行動を共にしていましたが、有栖川宮が帰京するタイミングで役目を終えたとして解散しました。多くの隊員は帰郷しましたが、一部の隊員はそのまま東京に留まりました。その後、東京残留組と遠州から再上京した者を加えた80名余は、戊辰戦争の戦死者を弔う「招魂社」の建立に深く関わりました。これが後の靖国神社です。併せて、招魂社に付設した研究機関として「招魂社祭典取調所」も開設しました。これが、現在の國學院大學の前身となります。つまり、靖国神社や國學院大學は遠州の神官たちによって設立されたと言っても過言ではないのです。

 ここまで紹介してきた遠州の知識層の動向は、混乱した社会情勢のなかで、「遠州報国隊」入隊の有無に関わらず千差万別で非常に興味深いものがあります。唯一つ共通して言えることは、各々が時代に飲み込まれる傍観者であることを良しとせず、1人ひとりが自ら考え、正しいと判断した行動を取っていることです。

 先行き不透明な現代は、幕末から明治維新の動乱期と類似するところがあると感じています。皆さんには、事の大小に関係なく、事が起きた時には立ち止まって見ているのではなく、自ら考えて最も適切だと判断した行動を取れるようになって欲しいと思います。

 なお、私の願いと関連付け、夏休み期間中、遠州鉄道小林駅で具合の悪くなった方と遭遇した吹奏楽部の生徒2名が、その場で献身的な介助と必要な対応をしてくれたという報告があったことを言い添えて結びとします。



報国隊整列天龍川岸図(左)と戊辰之役報国隊記念碑(浜松市中区利町・五社公園内)





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